なごやハウス利用者手記 (小田ましろちゃん 母ゆりさん)
娘は2歳10カ月の頃 神経芽腫(しんけいがしゅ)という小児がんになりました。下の子が生まれてまだ3ヶ月の時でした。
ある日、娘が突然高熱を出し、足が痛いから抱っこしてと言うようになりました。
病院を受診しても、下の子が生まれたので赤ちゃん返りかな?成長痛かな?と言われ続けました。しかし体重も減少し歩かなくなり、不安になりネットで検索すると神経芽腫という初めて聞く病名が出て来ました。違う小児科にも行ったのですがそこでも成長痛の診断でした。私は納得がいかず採血だけでもしてくださいとお願いしました。 採血の結果が出ると直ぐに大きな病院へ行くように言われ、大学病院では神経芽腫で間違いないでしょうとの診断でした。足の痛みは骨に転移した腫瘍の痛みでした。恐れていた病気が現実になってしまい、ただ泣き続けていました。そして一刻を争うため直ぐに抗がん剤を投与するとのことでした。
抗がん剤の辛い治療をこんな小さな子にさせるべきなのかとすごく悩みました。
でも、少しでも助かる見込みがあるならその可能性にすがろう、頑張ろうと夫婦で話し合い治療を受けることにしました。その時、下の子は生まれて3カ月、私は娘と24時間付き添い入院、下の子は主人の実家で世話をしてもらうことになりました。
それから直ぐに手術・抗がん剤治療が始まりましたが、地元の大学病院では一般的な治療しかしていません。娘はこの治療で治るのだろうかと考え、色々調べたなかで名古屋大学病院の教授の話を聞きたいと思い、教授から症例数や治療内容・治療成績を聞きその場で転院を決めました。
私たちの住んでいる長崎から名古屋まで900km以上あります。「ドナルド・マクドナルド・ハウスは遠方から治療に来ている家族のための滞在施設なので見に行ってください」と教授に教えていただき見学に行きました。子どもが喜ぶような飾りつけがしてあったので、娘はここに行きたいと楽しい所に行くように喜んでいました。
転院の日が決まり入院前日にハウスに宿泊させていただくことになりました。これから知らない土地で娘と二人、不安な気持ちでいっぱいでしたが初めてのハウスはとても綺麗で明るく、スタッフの方・ボランティアの方がみんな笑顔で迎えてくれてほっとしたのを覚えています。
それから娘の本格的な治療が始まりましたが治療中もずっと順調だったわけではありません。転院してすぐの頃カテーテルから入った菌が全身を巡り敗血症ショックになってしまい命の危険にさらされICUに入りました。先生からもかなり厳しい状況と言われ不安で泣いてばかりいました。
ICUでは付き添いが出来ないため私はハウスにお世話になりました。食事も喉を通らない・夜も眠れない・・・そんな毎日が続きましたが、スタッフの方が大丈夫ですか?困ったことがあったらいつでも言って下さいと声を掛けてくださり、頼る人が近くにいない私にとってどれだけ心強く有難かったか分かりません。あの時ハウスが無かったら私も倒れていたと思います。
そして娘は先生方の懸命な治療のおかげで回復しクリスマスにはICUに居た娘が、一時退院し、ハウスで正月を迎えることが出来、書初めをしたり、お料理を作ったりとてもいい時間を過ごすことが出来ました。
私たちの名大病院での入院生活は約1年6カ月。遠方でコロナ禍でもあったので長崎には数回しか帰れませんでした。その間私たちの家はハウスでした。娘はハウスへ行くのをとても楽しみにしていて病棟で先生に会うと、次はいつハウスに行ってもいいですか?と自分から聞くようになり、その外泊できる日に向けて治療を頑張っていました。
約2年の治療を終え2歳10ヶ月で入院した娘も今年7歳になり、元気に小学校に通っています。
娘を助けていただいた全ての方に心から感謝しています。
経過観察で年に3回名大病院に行きその時はハウスを利用させてもらっています。 娘は今でもマクドナルドハウスが大好きです。