神戸ハウス利用者手記(中学生のお子さん)
私は近畿地方の中学生で、数年前に急性白血病と診断されました。丸1年の入院中、神戸ハウスにお世話になりました。ほんの10年前には白血病は治りにくい病気だったそうです。医療技術の進歩と治療してくださった方々に感謝しながら、現在は家で復学に向けてリハビリを頑張っています。白血病は血液のがんで、闘病生活は長く辛いものでした。ですが私にとっての最も大きな苦しみは、身体の痛みや治療の副作用ではなく、普通の中学生の生活からかけ離れた療養環境そのものだったと感じます。
相部屋の病室で患者1人に与えられるスペースは狭く、隣との仕切りはカーテン1枚なので、音は筒抜けでした。着替えたり、体を拭いたりするのもストレスです。お風呂やトイレは共用なので、立つのがやっとの体調でも割り振られた時間内に済ませなければなりません。抗がん剤で吐き気がしているとき、「食べ慣れた母の料理なら食べられるのに」と思いながら1ヶ月以上なにも食べられず過ごしたこともありました。
ずっと付き添ってくれていた私の母は、寝返りも打てない狭いベッドで眠り、コンビニ食しかできなかったためか、体重が15kgも減ってしまいました。
そんな息苦しい生活が延々と続く中、私の大きな助け、希望となったのが神戸ハウスへの「外出」でした。病状が安定すると、主治医から「外出許可」が出ることがありました。私の場合1〜2ヵ月に1度、1日病院の外で過ごす許可が出ました。
神戸ハウスに初めて足を踏み入れたときはとても驚きました。光の差し込むキッチン、各部屋にあるお風呂とトイレ、スタッフの皆さんの「患者と家族が快適に過ごせるように」という優しさ、そして沢山の人達からの寄付の品々。この社会には病気の自分を応援してくれる人が大勢いるということを知りました。
「外出」の日、ハウスのキッチンで母が作ってくれた出来たてのご飯を食べながら、大好きなお笑いのテレビ番組を見ることができました。付き添い家族が病室で飲食することは禁止されているので、数ヶ月ぶりの家族揃っての食事になりました。その時の嬉しさは、言葉に尽くせません。病院では付き添い家族用のお風呂は狭いシャワーブースが1つしかないため、母は「久々に座ってお風呂に入れた」と喜んでいました。付き添いで心身ともに消耗しきっていた母もハウスにいる間は生き生きとしていて、入院する前のように料理をしたり人と話したりする母の姿を見て私自身もほっとしたのを覚えています。
神戸ハウスで過ごす時間は私にとってとても大切で、抗がん剤治療と「外出」、その両方が「治療」であったように思います。鍵のかかっていない窓があって、太陽の光を浴びられて、外の空気を吸えて、友達と電話をしても良くて、好きなものが食べられる。そんな普通の中学生なら当たり前の時間を過ごすことが、辛い入院生活の中で紛れもなくひとつの「治療」になりました。
今この瞬間も病棟で闘っている患者さんと家族のための京都ハウスが成功することを、そしてこの社会が病気の子どもを守れる社会であることを、心から願います。