【ハウスで支えられた日々への感謝。あの時受けた温かさを、今度は他のご家族に届けられるよう、】
私は奈良県に住む6歳の息子を持つ母親です。息子は2歳の時、原因不明の病気で兵庫県立こども病院に入院しました。その際、病院の隣にある「ドナルド・マクドナルド・ハウス 神戸」を約2ヶ月間、家族で利用させていただきました。それまでドナルド・マクドナルド・ハウスの存在を知らず、「こんな素晴らしい施設があるのか」と驚いたのを覚えています。
息子の入院中は、私たち家族も慣れない生活を余儀なくされました。面会時間中は病室に付き添い、その後はハウスに戻るという日々でした。夫はハウスから仕事場に通い、私もパソコンで仕事を続けながら息子を支える生活を送りました。その間、ハウスでは同じような境遇のご家族と出会い、たくさんの励ましをいただきました。息子の病名がなかなか判明せず不安な日々でしたが、多くの方に支えられ、孤独を感じることなく過ごすことができました。
しかし、息子が兵庫県立こども病院から転院し、京都での付添い生活が始まると状況は一変しました。京都ではドナルド・マクドナルド・ハウスのような施設が無かったため、私は病院の大部屋で簡易ベッドに寝泊まりし、夫は息子に会う機会がほとんどなくなってしまいました。食事や入浴も思うようにできず、病室では他の方々との会話もあまりなく、気持ちが塞ぎ込むこともありました。息子も頑張っていましたが、父親と会えない日々を寂しく思っている様子が見て取れました。
この経験を通して、ドナルド・マクドナルド・ハウスのありがたさを改めて実感しました。もしハウスが無かった場合、奈良の自宅から兵庫県立こども病院まで車で片道1時間半の距離を毎日往復することになり、息子のそばにいられる時間は大幅に減ってしまったでしょう。ハウスがあったからこそ、私たちは息子のそばで安心して生活することができました。


ドナルド・マクドナルド・ハウスは、広いキッチンがあり、自分たちで食事を作れる環境が整っています。また、食事会や差し入れなど、多くの方々からの温かいご支援を受けました。これらのサポートは、心身ともに疲れていた私たち家族にとって大きな励みとなり、感謝の気持ちでいっぱいです。特に病院の隣に施設があることで、面会時間ギリギリまで病室にいられ、すぐに病院へ駆けつけられる安心感は何にも代えがたいものでした。 息子が無事退院した今、私たちは「次は自分たちが支える番だ」と強く思っています。あの時受けた温かさを、今度は他のご家族に届けられるよう、何かできることを探し続けています。ドナルド・マクドナルド・ハウスで過ごした日々は、私たち家族にとって忘れられない感謝の時間です。
【この社会が、病気の子どもを守れる社会であることを】
私は近畿地方の中学生で、数年前に急性白血病と診断されました。丸1年の入院中、神戸ハウスにお世話になりました。ほんの10年前には白血病は治りにくい病気だったそうです。医療技術の進歩と治療してくださった方々に感謝しながら、現在は家で復学に向けてリハビリを頑張っています。白血病は血液のがんで、闘病生活は長く辛いものでした。ですが私にとっての最も大きな苦しみは、身体の痛みや治療の副作用ではなく、普通の中学生の生活からかけ離れた療養環境そのものだったと感じます。
相部屋の病室で患者1人に与えられるスペースは狭く、隣との仕切りはカーテン1枚なので、音は筒抜けでした。着替えたり、体を拭いたりするのもストレスです。お風呂やトイレは共用なので、立つのがやっとの体調でも割り振られた時間内に済ませなければなりません。抗がん剤で吐き気がしているとき、「食べ慣れた母の料理なら食べられるのに」と思いながら1ヶ月以上なにも食べられず過ごしたこともありました。
ずっと付き添ってくれていた私の母は、寝返りも打てない狭いベッドで眠り、コンビニ食しかできなかったためか、体重が15kgも減ってしまいました。
そんな息苦しい生活が延々と続く中、私の大きな助け、希望となったのが神戸ハウスへの「外出」でした。病状が安定すると、主治医から「外出許可」が出ることがありました。私の場合1〜2ヵ月に1度、1日病院の外で過ごす許可が出ました。
神戸ハウスに初めて足を踏み入れたときはとても驚きました。光の差し込むキッチン、各部屋にあるお風呂とトイレ、スタッフの皆さんの「患者と家族が快適に過ごせるように」という優しさ、そして沢山の人達からの寄付の品々。この社会には病気の自分を応援してくれる人が大勢いるということを知りました。
「外出」の日、ハウスのキッチンで母が作ってくれた出来たてのご飯を食べながら、大好きなお笑いのテレビ番組を見ることができました。付き添い家族が病室で飲食することは禁止されているので、数ヶ月ぶりの家族揃っての食事になりました。その時の嬉しさは、言葉に尽くせません。病院では付き添い家族用のお風呂は狭いシャワーブースが1つしかないため、母は「久々に座ってお風呂に入れた」と喜んでいました。付き添いで心身ともに消耗しきっていた母もハウスにいる間は生き生きとしていて、入院する前のように料理をしたり人と話したりする母の姿を見て私自身もほっとしたのを覚えています。
神戸ハウスで過ごす時間は私にとってとても大切で、抗がん剤治療と「外出」、その両方が「治療」であったように思います。鍵のかかっていない窓があって、太陽の光を浴びられて、外の空気を吸えて、友達と電話をしても良くて、好きなものが食べられる。そんな普通の中学生なら当たり前の時間を過ごすことが、辛い入院生活の中で紛れもなくひとつの「治療」になりました。
今この瞬間も病棟で闘っている患者さんと家族のための京都ハウスが成功することを、そしてこの社会が病気の子どもを守れる社会であることを、心から願います。